それが鷹の道

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2005年 01月 17日

今一度「がんばろうKOBE」

あの日から10年が過ぎた。
関西のテレビや新聞では、ここ数日「阪神大震災から10年」を立て続けに取り上げている。
「10年ひと区切り」とはよく言うものの、被災者の方々にとってその記憶は、
10年経とうが、20年経とうが、薄れる事はないだろう。

大阪府の北部に住む私にとっては、あの時は幸いにも机の本棚から本が落ちる程度の被害ですんだわけだが、
それでも当時のニュース映像を見ると、慄然とした思いが甦る。
あまりにも衝撃が大き過ぎて、すぐ隣の県で起こった事だという現実をなかなか受け入れる事ができなかった。

10年前を振り返って、当時の事を語ってみようと思った。
しかし、被災の時の悲しみや辛さについては、風化させてはいけないと思うものの、私が語るべきではないだろう。
それはニュースや新聞を通じて報じられる、被災者の方々の声に委ねる事としたい。



ではいったい何を語るのかというと、やっぱり野球の事である。

震災の起きた'95年、神戸のプロ野球チームが、悲しみから立ち上がろうとする地元の人達に
勇気や希望や喜びを与えてきた。
オリックスブルーウェーブ優勝の年である。

前年にシーズン210安打の大記録を成し遂げたイチローという新しいヒーローを擁してはいたものの、
突出した選手は少ないチームであった。
しかし、ユニホームの袖に「がんばろうKOBE」の文字を入れ、
チーム一丸で優勝に向けて快進撃を続けるブルーウェーブの姿は、
まぎれもなく復興の一つの象徴であり、神戸の人達は声援を送り続けた。
グリーンスタジアム神戸には、連日多くのファンが詰め掛けた。
そしてナインと市民の思いは、9月19日、リーグ優勝という形で結実したのである。

さらには翌'96年もパリーグ連覇。
そして、前年ヤクルトの前に夢破れた日本一も、この年は巨人を破ってものにした。
まさに、ブルーウェーブ黄金時代到来。
神戸の野球熱はヒートアップし、復興を目指す人々をさらに元気づけた。

しかし、それ以降はAクラスには入るものの、優勝には手が届かない年が続く。
2000年にはついにBクラスに転落。
そして2002年には、屈辱の最下位を味わう事になった。
神戸の人に夢と希望を与えたブルーウェーブの強い姿は、見る影もなくなってしまった。

そして、あろう事か昨年の6月13日、オリックス球団は大阪近鉄バファローズとの合併を発表した。
新しいチーム名は「オリックスバファローズ」
「がんばろうKOBE」の言葉の下、みんなで応援してきたブルーウェーブの名前が消えたのである。
そして、大阪ドームとのダブルフランチャイズ制が採られる事で、
これまでの本拠地、ヤフーBBスタジアム(神戸球場)での試合数は半分以下に減る事となった。

これまで球団合併の悲しみについては何度か書いて来た事であるが、
被災から立ち上げる自らの姿をブルーウェーブに重ね合わせて、声援を送ってきたファンも
少なからずいたはずである。
それが今回の合併で、何か大事なものを失ったような思いを感じているのではないだろうか。
それは神戸の人にしかない特別な思い…
そんな事を考えると、あらためてこの合併の悲しみを感じる。

加えて、オリックス球団自体、昨年まで3年連続の最下位という結果に終わっている。
球団合併したものの、率直に言って大幅に戦力アップしたとは言い難い。
今年も苦戦は免れないかも知れない。しかしそれでも…

野球と震災を並べて言うのは不適当かも知れないが、
震災の年、神戸に明るさをもたらしたブルーウェーブが、
今はバファローズに名前は変わってしまったものの、今こそ復活へ向けて動き出すべき時である。

合併球団のダブルフランチャイズ制は暫定的なもので、
3年後には本拠地が大阪ドームに統一されるのでは、という声も出てきている。
「大阪の人間にとってはその方が好都合だ」と考えた事も正直あったが、
今はやはり神戸からプロ野球が無くなってはいけないと思う。
もしそんな事になれば、今度は本当に神戸のファンの思い出まで封印されてしまうような
気がしてならないのである。

新しいチームになっても、名前が変わっても、試合数は半減しても、
今こそ再び「がんばろうKOBE」の頃を思い出し、
オリックスバファローズは、奮起すべき時なのである。
そこにブルーウェーブの頃の魂が残っている限り。
そこにブルーウェーブを応援してきた人達の熱い声援がある限り。


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by takanomichi | 2005-01-17 23:50 | パ・リーグ


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